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101歳と51日

101歳と51日。8月終わりに祖母(母の母)が亡くなりました。私と妹は、祖母に大きな影響を受けて生きてきました。
幼いときから「本物の絵を見なさい」と言われ、いろいろな美術展に連れて行ってくれました。
まだ背が小さくて、人の間を縫うようにして絵を観たこと。美術館の熱気とともによく覚えています。
こうした経験がいかにかけがえのないものであったか、大人になってよくわかりました。
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新聞紙で祖母が折った蓮の花。


練馬の祖母の家に行くと目が飛び出るくらい上等な(祖母の言葉)お刺身をふるまってくれました。口福という言葉も口果報という言葉も祖母から教わりました(都立家政の魚福という町の魚屋さん現在もあります)。
高校生になると「女性は職業を持ちなさい。できれば教師になりなさいと言われるようになりました」。
その理由をたずねると、「教師は焼け野原になった東京で、青空教室を開くためにすぐに集められたから、何が起きても困ることはない」と言いました。私は反発して教師にはなりませんでしたが、いとこ3人は教職の道に進みました。
「闇のときは闇」。これは私が20代のとき、アトピー悪化で会社を休職していたときに言ってくれた言葉です。
その後、編集の仕事に就いたら、「時代の先を読むのが編集者の仕事。新しい生き方をしている女性も多い職業」と。新卒で入った設計会社の事務職で挫折したので、職場にイキイキ働く女性の先輩が大勢いて、人生が開けた思いがしました。
最後に会ったのは、2018年8月。ひ孫を連れて妹と老人ホームを訪ねたとき。祖母は子どもたちに「折り紙をとって」と頼み、さっと手にとった2枚を渡したところ、「色合わせが悪い」とピシャリといいました。
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自分で緑色とからし色の折り紙を選び直し、見事な手つきで箱を折ってくれました。ふだんから着物の色合わせを基本としていた美意識の高さを感じました。ひ孫だからといって目をつぶったりしません。すかさず「色合わせ」を指摘する様子は私が子どもの頃と変わりませんでした。
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アナウンサーかジャーナリストになりたかったそうですが、「女は大学なんていくもんじゃない」と言われ、学費を出してもらえなかったそう。
まだ女性に選挙権がない時代です。選挙権を得たのは26歳のときだったと思います。
浅草生まれで、歴史のひとこま、ひとこまに立ちあってきたという自負がありました。
もう一度、再会できることを願っていましたが、叶いませんでした。前日までは自分で夕食をとっていたようです。
「おばあちゃん!101歳、大往生、お見事です。どうぞ安らかにお眠りください」
これは私が弔辞の結びにした言葉です。
厳しい時代を生き抜いてきました。「お見事」ときっと誰かに言ってほしかったと思うのです。
コロナ禍での葬儀は会食なし。帰り道で、祖母が好きだった「中村屋」のカリーで1人ランチ。
「高野フルーツ」でアップルパイとパンをたくさん買って帰りました。ご供養です。「高野フルーツ」のお店の匂いと一緒に祖母の姿が見えるようでした。
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この写真は以前住んでいた鷺ノ宮の家の桜です。
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昭和26年に家を建てたときに植えた家族の歴史を象徴する桜。
編集者になった従兄弟が撮影したもの。
昔からカメラ好きのいとこです。
1日がかりで過去のハードディスクから探し出してくれました。
写真は歴史になりますね。



by shukas | 2021-09-12 23:11 | かんがえる | Comments(0)

食のクリエイター&ライター大久保朱夏の暮らし


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