みんぱく公開講演会「料理と人間」食から成熟社会を問いなおす・私的レポ
2017年 11月 20日
◯概要説明 国立民俗学博物館・総合研究大学院大学 野林厚志教授 「文明と文化のはざまの料理」
◯講演1 東京大学大学院農学生命科学研究科 中嶋康博教授「ポスト食変遷と新たなフードシステムの可能性」
◯講演2国立民俗学博物館 総合研究大学院大学 宇田川妙子准教授「イタリア料理からみるグローバル、ナショナル、ローカル」
この後に、30分ほどパネルディスカッションが行われました。私的なレポートにして記録しておきます。
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◯料理とはなにか?
野林教授は、「料理」についての学問的な解釈を紹介。料理とは経験と知識の蓄積(レビィ=ストロース)/人間は共食する動物である/料理は食の芸術性を高める(石毛直道)/現代文明の中の料理は、地球資源を時空間を超えて活用するものという言葉が、「料理」のイメージを大きく広げてくれました。
そして、クックパッドのような料理の情報化は、アメリカ、インド、フランス、中国でもあり、世界的な潮流であることを紹介。後半のパネルディスカッションで野林先生は、食の簡便化は、食べる力、料理する力が弱るのではないかと悲観的な指摘されていました。後世になって振り返ると、レシピの情報化は、食文化史上の「分岐点」になりそうです。「料理は文明と文化のはざまで、時間、交通、情報がゆれ動いている」という問題提起でした。
◯社会実験をしているような日本
中嶋先生は戦後の食の変遷について、28のデータを別冊の資料集として提供。世界的に大きな食料消費の最大の変化は、「肉をたくさん食べるようになったこと」「植物油脂と、砂糖甘味料の摂取量の増加」です。よく「戦後日本は欧米化により肉食の割合が増えた」と、言われることがありますが、肉食の消費増加は欧米も同様。つまり西洋化ではなく「現代化」と述べます。戦後、農と食の距離が拡大し、日本では、2000年代以降、急速に都市化が進み、食が外部化。新しいフードシステムの創造として「サブカル化」「B級グルメ」「農産物直売店の繁盛」の3つを挙げていました。そして新たなフードシステムの可能性は「小規模多品目」にあるのではないかといいます。
これからの日本はこれまで経験したことのない超高齢化・人口減少が待ち受けている。まさに社会実験。都市住民が地方に移住する「田園回帰」が太い流れになるのではないかという展望で結びました。
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◯食事時間についての考察
イタリアの食文化の研究に長年携わっている宇田川先生は、イタリア人は料理とどう向き合い、自らの社会文化とどうかかわってきたのかという「食と社会文化の密接な関係」と意義を考えるという視点で講演。
現代イタリアでも、食の諸側面(生産、加工、調理、食事など)が分業化し、「不可視化」しているといいます。イタリアの新しい潮流で広がっているのはソーシャルイーティング。気軽にホームレストランが楽しめるマッチングサイト「gnammo」が人気です。日本の「キッチハイク」もコンセプトは同様ですね。食事をする場所は、家orレストランかという2択ではなく、ゆるやかなつながりを持っている人と集まりいっしょに食べるという、新しい流れは日本でも生まれています。家族も地域も小さくなっていくわけなので、だれかとつながり、生きていくという力が必要になります。そのとき食は欠かせません。宇田川先生は、パネルディスカッションで日本とイタリアの違いとして「食事の時間の長さ」を挙げていました。この前提になる話を端折ってしまいますが、消費局面が極大化しているのは、イタリアも日本と同様。しかし、食事の中に「生産」の部分がまだ見えているのは、食事の時間の長さによるところが大きいのではないかという考察をされていました。
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◯ひとこと
食べている時間が長いことで、食材や料理についての会話も自然に増えて行くという話題が心に響きました。
親友がイタリア人と結婚し、小さな村で開かれた、ウエディングパーティに出席しことがあります。パーティの前後で、まったりと会話を楽しむ時間が長かったことをすぐ思い出しました。10年以上前でしたので、ここまでSNSも発達していませんでした。それでも、とにかく時間の流れをゆったりと感じました。いま日本は「待つ」ことが、さらに苦手になっていると思います。私自身もそのひとり。日本人の食事時間の短さが「不寛容な社会」の原因とはいいませんが、だれかと目を合わせ、ゆっくり食事の時間を楽しむという人間の営みを広い視野で見直す機会でした。
別のとり組みにつなげて、書いておきたいことがあるので、またの機会に。